香港初の立法局直接選挙 2

香港基本法では、この直選議員の比率は1999年の第2期立法評議会では24人、2003年の第3期立法評議会では30人と徐々に増やされ、2007年以降は別途決定するとされています。


香港基本法の草案が審議されていた段階では、香港側は2003年の時点で完全直選制を達成することを求めていました。


しかし、最終的には中国側の強い意思を反映し、いつの時点で完全直選制が達成されるのかを明文化せず、直選議員の比率を高める速度も香港側の希望よりかなり遅れる選挙制度となったのです。


いずれにしても、返還をまたいで長期にわたる自治制度確立過程の第一歩を踏み出すのが、91年9月の立法局選挙だと位置づけられています。


そしてこの選挙の前哨戦といわれたのが、91年5月の市政局議員の選挙でした。


市政局は地域の環境問題や公園など都市整備を担当する、いわば地方議会です。


この選挙には、初めて政党をバックにした候補者が続々と登場し、日本と変わらない派手なポスターやチラシ戦術など活発な政党選挙が繰り広げられました。

香港初の立法局直接選挙

この時期に、なぜ政党の結成が相次いだのかには理由があります。


1991年9月、香港では立法局議員の選挙が行われています。


いわば国会に相当するこの立法局は香港総督の委任した「名誉議員」、各種業界団体から選ばれた「職能議員」。


市政局や区議会など地域を代表する議員のなかから互選で選ばれてきた「民選議員」によって構成されました。


今回の選挙では、このなかに新しく住民による直接投票で選ばれる初の「直選議員」18人が誕生しました。


この立法局議員は、次の95年の選挙では定員60人のうち直選議員が20人に増やされます。


97年返還の時点で、香港特別行政区「第一期立法評議会」に自動的に移行するメンバーです。


これは、97年の返還を前に「移行期」のひとつの手順として決められたものでした。


前述の「97列車」にたとえれば、なるべく急激な停車や発進は避け、スムーズに橋を渡りたいものです。


円滑な体制移行のための前倒し措置、いわば衝撃緩衝の役割がこの立法局議員には課せられてもいます。

政治意識に目覚める 3

北京政府は、中国の政権転覆をねらい香港を「反共基地化」させようとしている敵対団体だと、この会の中心メンバーを名指しで批判したこともあります。


この「香港民主同盟(港同盟)」に続いて、わずか1年ほどの間に幾つかの政党の誕生が相次いでいます。


香港経済界をバックに、自ら「日本の自民党をモデルにした」と称する政党もあります。


「香港自由民主連会(自民連)」です。


主席の胡法光氏以下、役員には大企業のトップや実業家などが目立ちます。


中国との関係についても「中港間の相互信頼と協力を維持発展させ、中国のなかでの香港という立場から香港の最上の利益を追求する」としていることなど、政策は経済優先の穏健なものが多いのです。


胡法光氏は、港同盟と自民連の最大の違いについて、


「香港の民主制度の確立を先とするのか、それとも香港の繁栄と安定を最優先とするかの違いだ。


いくら民主があっても、経済の繁栄が崩壊してはカラ手形を発行したようなもので、何の役にも立たない」


・・・と説明しています。

政治意識に目覚める 2

結党宣言では


「香港の各界・各階層の力を結集し、政治体制では民主を実現し、法律制度では人権、自由、法治を保障する」


・・・とするなど、民主派勢力を自認しています。


党の主席は、リベラル派を代表する弁護士、李柱銘氏。


天安門事件以降、中国の民主化弾圧に激しく抗議し、そのために香港基本法諮問委員会の代表を途中で除名された硬骨漢でもあります。


香港に対する最近の中国側の干渉や圧力についても、中英共同宣言の精神を踏みにじるものだと中国批判の立場を貫いています。


この政党をバックで支え、その母体となったのは「香港市民愛国民主化運動支援連合会(支連会)」という市民組織でした。


天安門広場を学生たちが占拠し、民主化要求を叫ぶ人々の波で北京の街が騒然としていたころ、香港でも連日100万人といわれる市民が街頭に出て、大規模なデモが繰り広げられました。


このころ中国政府への抗議と民主化要求を掲げて次々と誕生した市民グループは、200余りを数えたといわれます。


こうした草の根の市民団体を結集し、大規模集会を組織したのが「支連会」でした。


この会は、香港市民から巨額なカンパを集め天安門広場の学生に届けるなど、北京の民主化運動を資金面でも公然と援助しました。


・・・後には、学生や知識人らの海外逃亡を助け、いわゆる「地下トンネル」の役割を果たしたのもこの会の幹部メンバーだったといわれています。

政治意識に目覚める

中英共同宣言では、将来の香港は「一国両制」という原則の下に「高度の自治権」を有するとうたわれています。


中国側からの干渉と圧力を招いた新空港問題をめぐっては、改めて


「香港の自治権とは何なのか」


「中央政府と地方政府という関係のなかで、中国と隔絶した自立的な政治など可能なのだろうか」


・・・と問い直す議論もあります。


実はこの自治制度の将来を占い、「港人治港」と呼ばれる制度の試金石ともなる政治の季節をいま、香港自身は迎えています。


一世紀半に及ぶ長い植民地統治のなかで、香港の人々はこれまで政治とはほとんど無縁でした。


住民を政治的活動から遠ざけるというのは、むしろ統治者側の政策でもありました。


そのために経済活動には十分な自由を与え、ビジネスに人々の関心が向くように仕向けてきました。


その香港に1990年4月、「香港民主同盟(港同盟)」という組織が結成されました。


政党として初めて名乗りを上げた団体です。

生協運動 4

生協150年の歴史のなかで、今日ほど生協の出番がきている時代はないとさえいうことができます。


このこととともに、もう一つ強調しておきたいことがあります。


生活あるいは生活運動に関連する組織として、生協ほど世界的な、そして生協ほど巨大な組織はないはずです。


世界は、政治的に東西に分裂しています。


南北も対立しています。


しかし、生協運動はそれらの対立を越えて統一的な世界運動です。石塚孝一氏によると、しかも、世界の組合員は実に5億7千万を数えています。


ですから、かりに5億7千万の組合員みんなが協同の精神を体し、自覚をもって行動するならば、世界はいっぺんに立派になるはずです。


が、なかなか人間はそうはいきません。


けれども、こういう組織は世界中ほかにはないでしょう。


国家間のいろんな協定はあるけれど、生協は一種の「草の根運動」です。

生協運動 3

夢をもつリーダーとなり先兵となるためには、どうしても夢がなければやれないでしょう。


組合員とともに、わけても職員は、だからいつも夢をもっている必要があります。


生協は現実のニーズに応える事業体にとどまるものではありません。


現実への適応もしなければならないし、それも非常に重要です。


現実のニーズに応えなければ世の中から浮いてしまって、結局、崩れていきます。


事業体は成り立ちません。


しかし、生協はニーズに応えなければなりませんが、絶えず半歩先を行くもの、先導性をもったもの、そういう生活運動であり社会運動です。


ということは、いつも明日への希望に生きるということです。


生協の事業は、ただ目前のニーズに応える事業ではなくて、絶えず明日への運動を内に含んでいるのです。


しかも、今日の時代状況は、生協運動を勇気づけるいくつもの動きを示しています。


すでに見たように、今日の大転換の時代に、時代が要求してきているもののうちには、もともと生協が志向してきた方向と合致するものがいくつもあるからです。

生協運動 2

当然に、協同組合の何たるかをよく知り、その精神を身につけ、運動の先頭に立つものでなくてはなりません。


したがって、アクティブな組合員とともに、常勤の役・職員がリーダーであり推進者である、ということになると思います。


職員一人一人はそれぞれのパートで働きます。


ここで非常に大切なことは、どのパートで働いている場合でも、いつも生協運動あるいは生協事業の全体の像を知っていて、自分のやっているパートの位置を自覚していることです。


そのことによって、自分のやっている仕事が意味づけられてきます。


意味をもってきます。


たんなる仕事、そこに行って時間をつぶせばいい、といったものではなくなってきます。


生協運動、生協事業の全体像のなかで、自分のパートがそれぞれどういう位置をもっているかを絶えず自覚しているのでなければなりません。


自覚すれば、自分の受けもっているパートにそれぞれ意義が出てくるはずです。


そうして初めて、職員の一人一人が生協運動のリーダーとなり先兵となることができるのだと思います。


いうまでもなく、アクティブな組合員においても同様です。

生協運動

リーダーなしには運動はまとまらないものです。


たんなる同好会なら別ですが、生活運動であり社会運動であるような運動では、リーダーが絶対に必要になります。


では、生協運動においてはそれは誰でしょうか。


リーダーの最も中心になるべきものは、やはりまず組合員のなかのアクティブな委員や役員でしょう。


組合員のなかからしっかりと意識をもった委員や役員が選出されて、その人々が指導役をつとめなければならないでしょう。


そして組合員代表の役員は、生協全体の運営では、一国であれば総じて議会の議員のような位置に立ちます。


政務を執行する政府官僚のようになって、実際に業務を推進するのは常勤の役員であり、職員です。


しかし、生協の職員はたんなる官吏でも、たんなる社員でもありません。


運動のリーダーでもなくてはなりません。


生協運動の先兵でなくてはならないのです。

琉球王国の王、尚巴志

琉球王国の王、尚巴志は妊計を弄して、城内にスパイを送り、賄賂をもって本部大原を籠絡しました。


大原は力持ちではありますが智慧が足らず、すぐ好計にのって、王にさっそくこう提案しました。


「久しく戦わないと、敵は卑怯だと笑うであろう。王と私と交替して出て戦おう」


王はそれもそうだと同意し、大原に城内を守らせて、自分は西側正門のところから出撃しました。


中山軍は敗走と見せかけてはん安知をおびきよせ、彼が深追いしたことに気づいて振りかえったときは、はや城内には火の手があがっていました。


おどろいて引きかえすと、城内には大原が立ちふさがって、斬りかかってきました。


王は大いに怒り、先祖伝来の宝刀「千代金丸」を抜いて、一刀のもとに大原を斬り殺しました。


彼は猛火のなかを城内へ進み、妻子を叫び求めましたが、すでに妻子も守兵もことごとく討ち死にしていました。


城内にはカナヒヤブという霊所があって、霊石イビガナシは王の守護神として、神女たちに郷祀されていました。


王はその霊石に向って「汝よく我等を守護する能わず。汝とともに滅びん」といって千代金丸で斬りつけ、二つに割ってしまいました。


これを受剣石といって、いまは沖縄ツアーなどで訪れた観光客の足をひきとめています。


王はそれから、その刀で自害しようとしましたが、


「まことに霊剣とかや、主を害するに忍びず、たちまち刃が鈍って」役に立たないので、それを志慶真川にほうり投げて、小刀をもって自害しました。


その後、千代金丸は志慶真川の河口に流止しているのを、伊平屋島の漁師が見つけて、北山監守(尚巴志の二男)に届けました。


それはいまに尚家の家宝とされていますが、専門家の鑑定では、足利時代の作で、「珍重すべき名刀」だといわれています。


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