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      <title>可笑しな日記</title>
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      <description>未知のお菓子や場所、もの</description>
      <language>ja</language>
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         <title>人生を振り返るとき　4</title>
         <description>&quot;下が意見を具申しなくなるのは、下からみて上がどうしようもないので、あきらめているからだ&quot;


&quot;威張れば老いる。老人言葉を使うな。


部下にものをきかれたとき、ごまかしたり、逃げたり、逆襲したりするようになると老化のはじまりと思え&quot;


&quot;勉強は会社員としてではなく、一人の夫、父親、男として自分がゼロである、との発見からはじまる&quot;


&quot;社長は積極性をなくしたときが辞め時&quot;


&quot;できる奴に仕事が集まるように、商売もできる会社に集まる。商売を取るよりも、良い会社になることを心がけよ&quot;


&quot;西郷隆盛は&quot;功績には財貨をもってあてるべし、地位を与えてはならない&quot;といったが、私は財貨の代わりに肩書きを与え、地位を与えないために権限は付与しない&quot;


事実先輩は社長時代、事業部を持たない無任所の常務取締役を多数設け、儀典長的に利用しました。


&quot;ポストは過去の業績ではなく、新しい仕事にたいして与えられる&quot;


・・・部課長や支店長および次長、部長代理等の中間職を名誉職的なものとノルマ的なものに分けて、期待度のちがう人事配置を行いました。



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         <pubDate>Fri, 27 Jan 2012 14:16:32 +0900</pubDate>
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         <title>人生を振り返るとき　3</title>
         <description>「アメリカにいたとき外人の友人に最高権威であるライフマスター位をもっているのがいて、何回か誘われたが、ブリッジがあまりにも知能的なところが嫌でね。


賭け事はもちろん勝負や人生にも運がなければおもしろくないだろう。


だいいち運がなければボクは社長になれなかったからね」


「社長の場合は運やッキではなく、お世辞抜きに実力だったでしょうが、なんといっても経営哲学の面でひとを魅きつけるところがありましたからね」


先輩は社長になるまえ、常務時代に一度子会社の社長で転出しています。


このときは本人も周りもくこれで本社人生が終わりました。


再び本社に戻ることはあり得ないし、転出先の社長が&quot;最後になる&quot;とみていました。


ところが先代社長の思惑があり、後継者争いから、思いがけずカムバックして社長に返り咲いた経緯があります。


そしてこの先輩は子会社の社長時代からいろいろな語録や経営哲学を発言して業界紙などにはうけていました。


&quot;国がやらぬことをワガ社がやるんだ&quot;


&quot;人間は考えた通りの人間になる。社員は自分の将来像についてイメージをもて&quot;


&quot;管理者は部下に指示するとき、アイディアを充分に示し、具体策を示さないと失格&quot;



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         <pubDate>Fri, 16 Dec 2011 14:16:12 +0900</pubDate>
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         <title>人生を振り返るとき　2</title>
         <description>「今は全員が均等に幸せな時代で、一人の人間だけが図抜けて幸福なのではない。


ボクも昔の社長だったら幸福感ももう少し大きかったかもしれないが、なにしろ社長も平等になったからね。


しかしそれでいいんだよ。


みんながハッピーで・・・


今は引退した年金受給者の生活だって、昔の社長並みだからね」


「たしかに時代の変化で日本の企業風土やサラリーマン社会は大きく変わりつつあり、逆にこれからのサラリーマンは仕事に生き甲斐どころか、米国並みに&quot;食うために辛抱しなければならぬ&quot;苦業の稼業になるでしょうね」


「そういうギスギスした冷たい企業社会は、ボクにはご免だね。


ボクは昔から碁、将棋は嫌いで、勝負事はもっぱら麻雀。


トランプもブリッジは嫌で、ポーカーならやるが、これは運やツキのあるなしからなんだ。


コントラクト・ブリッジというのは世界で愛好者が一億人といわれ国際的にも最もポピュラーなゲームだが、運やツキの入る余地が全然ない。


すべてはプレイヤーの記憶力、推理力、勝負どころにおける決断力等百パーセント実力のゲームだ。


ブリッジは愛好家にいわせれば人間の考えだした最も楽しいゲームだそうだがボクはどうも好きになれなかったね。」


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         <pubDate>Thu, 10 Nov 2011 14:15:08 +0900</pubDate>
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         <title>人生を振り返るとき</title>
         <description>「人生を振り返るとき、人は皆自分なりの力と軌跡に満足するほかはない。


幸も不幸も結局はモノの考え方、自己満足の度合による・・・」


そうはいっても先輩の時代の社員生活は、苦労はしてもドラマチックな経験と誇りのもてた毎日であったでしょう。


「逆に今のようにモーレツイズムが否定されますと、会社型人間は昔の武士が急に侍をやめて町人になったように、それまで天下国家を論じ、大所高所からものを見ていたのが・・・


またいままで会社と一体になってきた充実感や安定感、安心感がなくなるため、これからは趣味や教養で生きろといわれても、急に心の切換えをするゆとりがないでしょう」


「たしかにわれわれの世代は、常に危機感と飢餓感に脅かされていないと、かえって落ち着かない時代で、またその恐怖感が人間をしゃにむに仕事に駆り立てた面もある。


しかし、国も会社も物質的・精神的に飢餓感、窮乏感がないと原動力が生まれなかったという気はするね」


「私はむしろ明治維新以降の武士のように、時代は鎖国から文明開化に移ってしまっているのに、精神構造は昔のまま対応しようとし、足を靴に合わせていたような気がします。


戦後の軍国主義から民主主義への切換え、現在のモーレツ主義からビューティフルへの転換、どうも中身のほうがまにあわず、現在の豊饒の時代、高齢化社会への対応も、気持ちの持ち方の転換が追いついていないという感じです」


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         <pubDate>Tue, 04 Oct 2011 14:14:24 +0900</pubDate>
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         <title>犬の肥満を防ぐには・・・</title>
         <description><![CDATA[犬に塩分を与えてはなりません。


からだに蓄積された塩分は心臓に負担をかけることになり、疲れやすいとか呼吸が荒いなどの症状がでるのです。


このままの食事を長い間続けますと老犬になってから取り返しのつかない心臓病、腎臓病をかかえ込むことになります。


そして、去勢して太るというのは間違いです。


むしろ、その犬の体質や食事内容によることの方が強いと思います。


まず、与えている食事の回数や食べる量を確かめてみてください。


どのくらい体重オーバーになったかはわかりませんが、月に1度は体重を計ってチェックすることをおすすめします。


肥満を防ぐには規則正しい食事を与え、間食は避けること。


適度な運動として散歩にも連れ出してみることです。


そして、子犬のうちに<a href="http://kongo.ocnk.net/" target="_blank">無駄吠え防止</a>グッズなどで無駄吠えをしないように矯正してあげることが大切です。


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         <pubDate>Thu, 01 Sep 2011 12:18:34 +0900</pubDate>
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         <title>シンデレラ12時の怪　その2</title>
         <description><![CDATA[私たちは、シンデレラの話を子供のころから何回ともなくきいてきました。


哀れなシンデレラが王宮に残してきたガラスの靴を手がかりに、ついに王子さまに見出され幸せをつかむという話は、子供心にほのぼのとした夢をかきたてられたものです。


・・・・ところがこの話もよく考えてみると、お伽話とはいえ、気になる点がいくつかあります。


まず、いったいシンデレラはどうして時を知ったのでしょうか？


もとより腕時計も懐中時計もない時代のこと。


第1日目の夜は時計が11時45分の時を打つ音で時間を知ったというわけですが、時計の針を眼で確認したのではなく鐘の音で知ったとすれば、その時計はどんな時計であったのでしょうか。


町の公共時計なのか、それとも王宮のなかの置時計であったのでしょうか。


まだ<a href="http://www.smart-time.net/?mode=cate&cbid=769585&csid=0" target="_blank">D&G 時計</a>のようなオシャレな腕時計がない頃の話です。


しかもたとえ何らかの機械時計があって、時間がくれば鐘が鳴ったり、音が出る仕掛けになっていたにしても・・・


果たしてむかしから45分という半端な時間に鐘が鳴っていたのでしょうか？


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         <pubDate>Mon, 01 Aug 2011 18:53:38 +0900</pubDate>
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         <title>シンデレラ12時の怪</title>
         <description><![CDATA[「シンデレラ物語」といえば、誰もが知っている有名な童話。


特に、<a href="http://www.smart-time.net/?mode=cate&cbid=769585&csid=0" target="_blank">D&G 時計</a>などブランドものがダイスキな女性が好む物語ですね。


その話のハイライトは、時間の約束を守らなかったために、魔法がとけて、美女からたちまち、もとの一介のみすぼらしい娘の姿に変わってしまうところです。


「真夜中の12時を少しでも過ぎてはいけない。


もし12時より少しでも長く舞踏会に残ったりすると、馬車はもとのかぼちゃに、馬は2十日ねずみに、従僕はとかげに、着ているものももとの古い服にもどってしまう」


・・・このようにシンデレラは、仙女から約束の時間を守るよう厳しい注意をうけます。


第1日目の夜は、時計が11時45分の時を打つのをきくや、シンデレラは急いでお城を抜け出し、約束の時間に遅れないように帰ってきました。


ところが2日目の夜は、舞踏会に時のたつのも忘れ、はっと気がついてみると、時計が真夜中の12時を打っていました。


シンデレラは慌ててガラスの靴の片方をそこに残したまま、お城をとび出したものの、そのときにはもう魔法がとけて、もとの貧しい娘の姿にもどっていたというわけです。


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         <pubDate>Tue, 19 Jul 2011 18:52:17 +0900</pubDate>
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         <title>政治運動化する民主化運動　2</title>
         <description>彼は支連会の中心的リーダーとして常に集会やデモの先頭に立ち、党副主席としてスポークスマンも務めています。


「97年に中国が主権を回復した後の香港に、果たして高度の自治体制が維持できるかどうかは、いま多くの人々の不安だ。


『6・4』以後は、誰も中国政府を信用していない。


同時に、イギリス政府も香港人の利益を見捨てたと感じている。


イギリスは97年以前に、民主的な政治体制を確立しそれを香港に残すという努力をしなかった。


これまでの香港の議会体制は、政庁の政策にただ賛成するだけの保守的なものだった。


香港基本法に基づく97年以後の政治も、中央政府からの干渉と制限によって、おそらく保守的なものにならざるをえないだろうと思う。


われわれが政党を組織したのも、われわれ自身が民主的な力を結集し、反対党の立場で政治をわれわれの手で監視できるひとつの勢力をつくりたいと思ったからだ」


・・・と語っています。


民主化運動のなかから政治を志す若い人々も生まれているのです。



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         <pubDate>Wed, 13 Jul 2011 17:09:49 +0900</pubDate>
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         <title>政治運動化する民主化運動</title>
         <description>新界など郊外を管轄する区域市政局を含め、合わせて27の議席のうち、各政党を代表する当選者は20人を占めました。


そのなかで、「香港民主同盟」は15人を立候補させ11人を当選させるなど、他を圧倒する力を見せました。


一方、それとは対照的な政策を持つライバル政党「香港自由民主連会」は候補者7人のうち3人の当選に終わりました。


天安門事件の日を、香港では国のために犠牲になった人々を悼む「国膓日」と名づけ、市民がローソクを手にして追悼集会を開くのが年中行事となりました。


市民グループの支連会が主催しビクトリア公園を会場に開かれるキャンドル集会には、事件から2年後も10万人の市民が集まった。


参加者が持つローソクの炎は、広い会場を光の海へと変えます。


2周年の集会では、中国指導者の退陣要求などかつてのような過激なスローガンは消えました。


それに代わって現れたのは、香港の民主派勢力の力を結集し、91年立法局選挙を民主派の手で抑えようという政治アピールでした。


香港民主同盟から立法局議員に立候補している香港大学講師を訪ねました。

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         <pubDate>Mon, 06 Jun 2011 17:08:34 +0900</pubDate>
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         <title>神と人間の霊</title>
         <description><![CDATA[神と人間の霊とは地続きの存在なのでり、愚くという性質が共通しているのもそのためだと思われます。


神は神木や祭場に立てられた榊などを目印に愚き下ってくるが、祖先などの死霊も墓地の榊や門松などを依り代としてやって来るのです。


ここでユタの例に注意したい。


神をススキに愚けてから自分に愚けるという二段式の愚霊は、悪霊を依りましに愚けてから追い払う密教や修験道の愚祈疇と共通する構造をもっています。


どうしてこのような二段構えの愚霊が行なわれるのでしょうか。


まず考えられることは、依り代や依りましなどに愚かせたほうが、直接愚霊に働ぎかけるよりコントロールがしやすいということです。


愚霊は愚いた者の肉体と精神を破壊する力をもっている以上、できるだけ確実な方法をとることが望まれる。


扱い方を間建凡れば、霊能者にまで危険が及ぶのです。


さて、話は変わりますが、友人が<a href="http://www.e-aine.com" target="_blank">電話占いならココ</a>だと言う所があるそうで、教えてもらって利用してみようと思います♪
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         <pubDate>Sun, 05 Jun 2011 13:52:32 +0900</pubDate>
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         <title>香港初の立法局直接選挙　2</title>
         <description>香港基本法では、この直選議員の比率は1999年の第2期立法評議会では24人、2003年の第3期立法評議会では30人と徐々に増やされ、2007年以降は別途決定するとされています。


香港基本法の草案が審議されていた段階では、香港側は2003年の時点で完全直選制を達成することを求めていました。


しかし、最終的には中国側の強い意思を反映し、いつの時点で完全直選制が達成されるのかを明文化せず、直選議員の比率を高める速度も香港側の希望よりかなり遅れる選挙制度となったのです。


いずれにしても、返還をまたいで長期にわたる自治制度確立過程の第一歩を踏み出すのが、91年9月の立法局選挙だと位置づけられています。


そしてこの選挙の前哨戦といわれたのが、91年5月の市政局議員の選挙でした。


市政局は地域の環境問題や公園など都市整備を担当する、いわば地方議会です。


この選挙には、初めて政党をバックにした候補者が続々と登場し、日本と変わらない派手なポスターやチラシ戦術など活発な政党選挙が繰り広げられました。

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         <pubDate>Mon, 23 May 2011 16:59:21 +0900</pubDate>
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         <title>香港初の立法局直接選挙</title>
         <description>この時期に、なぜ政党の結成が相次いだのかには理由があります。


1991年9月、香港では立法局議員の選挙が行われています。


いわば国会に相当するこの立法局は香港総督の委任した「名誉議員」、各種業界団体から選ばれた「職能議員」。


市政局や区議会など地域を代表する議員のなかから互選で選ばれてきた「民選議員」によって構成されました。


今回の選挙では、このなかに新しく住民による直接投票で選ばれる初の「直選議員」18人が誕生しました。


この立法局議員は、次の95年の選挙では定員60人のうち直選議員が20人に増やされます。


97年返還の時点で、香港特別行政区「第一期立法評議会」に自動的に移行するメンバーです。


これは、97年の返還を前に「移行期」のひとつの手順として決められたものでした。


前述の「97列車」にたとえれば、なるべく急激な停車や発進は避け、スムーズに橋を渡りたいものです。


円滑な体制移行のための前倒し措置、いわば衝撃緩衝の役割がこの立法局議員には課せられてもいます。

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         <pubDate>Tue, 05 Apr 2011 16:58:24 +0900</pubDate>
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         <title>政治意識に目覚める　3</title>
         <description>北京政府は、中国の政権転覆をねらい香港を「反共基地化」させようとしている敵対団体だと、この会の中心メンバーを名指しで批判したこともあります。


この「香港民主同盟(港同盟)」に続いて、わずか1年ほどの間に幾つかの政党の誕生が相次いでいます。


香港経済界をバックに、自ら「日本の自民党をモデルにした」と称する政党もあります。


「香港自由民主連会(自民連)」です。


主席の胡法光氏以下、役員には大企業のトップや実業家などが目立ちます。


中国との関係についても「中港間の相互信頼と協力を維持発展させ、中国のなかでの香港という立場から香港の最上の利益を追求する」としていることなど、政策は経済優先の穏健なものが多いのです。


胡法光氏は、港同盟と自民連の最大の違いについて、


「香港の民主制度の確立を先とするのか、それとも香港の繁栄と安定を最優先とするかの違いだ。


いくら民主があっても、経済の繁栄が崩壊してはカラ手形を発行したようなもので、何の役にも立たない」


・・・と説明しています。

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         <pubDate>Fri, 25 Mar 2011 16:57:26 +0900</pubDate>
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            <item>
         <title>政治意識に目覚める　2</title>
         <description>結党宣言では


「香港の各界・各階層の力を結集し、政治体制では民主を実現し、法律制度では人権、自由、法治を保障する」


・・・とするなど、民主派勢力を自認しています。


党の主席は、リベラル派を代表する弁護士、李柱銘氏。


天安門事件以降、中国の民主化弾圧に激しく抗議し、そのために香港基本法諮問委員会の代表を途中で除名された硬骨漢でもあります。


香港に対する最近の中国側の干渉や圧力についても、中英共同宣言の精神を踏みにじるものだと中国批判の立場を貫いています。


この政党をバックで支え、その母体となったのは「香港市民愛国民主化運動支援連合会(支連会)」という市民組織でした。


天安門広場を学生たちが占拠し、民主化要求を叫ぶ人々の波で北京の街が騒然としていたころ、香港でも連日100万人といわれる市民が街頭に出て、大規模なデモが繰り広げられました。


このころ中国政府への抗議と民主化要求を掲げて次々と誕生した市民グループは、200余りを数えたといわれます。


こうした草の根の市民団体を結集し、大規模集会を組織したのが「支連会」でした。


この会は、香港市民から巨額なカンパを集め天安門広場の学生に届けるなど、北京の民主化運動を資金面でも公然と援助しました。


・・・後には、学生や知識人らの海外逃亡を助け、いわゆる「地下トンネル」の役割を果たしたのもこの会の幹部メンバーだったといわれています。

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         <pubDate>Sat, 05 Feb 2011 16:56:23 +0900</pubDate>
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         <title>政治意識に目覚める</title>
         <description>中英共同宣言では、将来の香港は「一国両制」という原則の下に「高度の自治権」を有するとうたわれています。


中国側からの干渉と圧力を招いた新空港問題をめぐっては、改めて


「香港の自治権とは何なのか」


「中央政府と地方政府という関係のなかで、中国と隔絶した自立的な政治など可能なのだろうか」


・・・と問い直す議論もあります。


実はこの自治制度の将来を占い、「港人治港」と呼ばれる制度の試金石ともなる政治の季節をいま、香港自身は迎えています。


一世紀半に及ぶ長い植民地統治のなかで、香港の人々はこれまで政治とはほとんど無縁でした。


住民を政治的活動から遠ざけるというのは、むしろ統治者側の政策でもありました。


そのために経済活動には十分な自由を与え、ビジネスに人々の関心が向くように仕向けてきました。


その香港に1990年4月、「香港民主同盟(港同盟)」という組織が結成されました。


政党として初めて名乗りを上げた団体です。

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         <pubDate>Tue, 25 Jan 2011 16:55:36 +0900</pubDate>
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